いじられキャラはなぜ愛されるのか

飲み会で、誰かが盛大に噛んだ瞬間。「今なんて言った?」とすかさず突っ込まれて、テーブルがどっと沸く——そのとき笑われている本人が、ちょっと困った顔をしながらも、まんざらでもなさそうに笑っている。あの光景、思い浮かびませんか。
いじられる側、つまり僕らの診断で言う「いじられ(R)」のタイプは、一見すると受け身に映ります。攻めているのは突っ込んだ側で、自分はネタにされているだけ。そう捉えると、なんだか割を食っているように見えなくもありません。
でも実際の場を思い返してみると、空気をふわっと和ませているのは、いじられた本人の反応のほうだったりします。受け身どころか、その場の温度をいちばん左右しているのが、案外このいじられキャラ。
場が和むのは「差し出せる人」がいるから
いじられて笑いが起きるとき、何が起きているのか。突っ込みや、いじりの言葉が放たれて、それを受けた人が反応する。この「反応」が場に着地して、はじめて笑いが完成する。発信した言葉だけでは、笑いは宙に浮いたまま終わってしまいます。
ここで効いてくるのが、いじられる側の度量。自分の失敗や、ちょっと恥ずかしいところを、隠さずにその場へ差し出せる。これって、実はかなり勇気のいることなんです。
人は普通、自分の弱いところを守ろうとします。それをあえてオープンにできるのは、「この場なら、ここにいる人たちなら、笑われても大丈夫」という信頼があるから。いじられ上手とは、要するに自分を差し出せる人で、その姿勢そのものが場への信頼の証になっています。
ハイテンション愛され王(BRPV)のように、いじられること自体を勢いに変えて場を巻き込んでいくタイプもいれば、リアクション職人(BRPS)のように、ここぞの一発の表情や反応で空気を持っていくタイプもいる。同じ「いじられ」でも、差し出し方は人それぞれです。
いじられ上手だなと思う人を何人か思い浮かべてみると、やっていることは意外とはっきりしています。まず、とにかく反応が速い。振られてから返すまでの間がほとんどないんですよね。もうひとつが、元気に突っ込み返すこと。しょんぼり受け止めるんじゃなくて、振った側と同じかそれ以上の熱量で返してくる。
この二つがそろっていると、いじった側は受け止めてもらえたことがその場で分かるので、安心して次も振れます。逆に反応が薄いと、振った側は自分が滑ったのか相手を怒らせたのか判断がつかなくなって、そこで手が止まる。いじられ上手の人が場を持たせているのは、いじりを受け止めているからというより、次のいじりを出しやすくしているからなんだと思います。
いじりといじられは、共犯関係
いじる側、つまり「いじり(A)」のタイプとの関係も見ておきたいところ。
いじると聞くと、一方的に攻めているように響きます。でも本当に場が温まるいじりは、相手をちゃんと理解した上で成り立っている。どこを触れば笑いになって、どこは触れちゃいけないか。その線引きができている人のいじりは、いじられる側も安心して受けられます。
オールラウンド司令塔(TACV)のように全体を見渡して場をコントロールするタイプや、スナイパー毒舌家(TACS)のように鋭いひと言で射抜くタイプは、いじりの腕が立ちます。ただ、その鋭さが愛として届くかどうかは、相手への理解が前提にあるかどうかで決まる。鋭いだけのいじりは、ただ刺さって終わりです。
だからいじりといじられは、攻める側と攻められる側というより、共犯関係に近い。お互いがお互いを信頼して、はじめて笑いという作品が完成します。突っ込みといじられの呼吸がぴたりと合っている二人を見ると、長い付き合いなんだろうな、と勝手に伝わってきたりする。あの呼吸は、一朝一夕には作れません。
見ていて気持ちのいいいじりには、共通点があると思っています。いじる側といじられる側のあいだで、事前に合意ができているんですよね。この話題なら振っていい、ここを突かれたら自分はこう返す。何度か繰り返すうちに、それがひとつのくだりとして固まっていく。傍から見ると即興のやりとりに見えるのに、当人たちのあいだでは何度も通した道だったりします。
逆に、見ていてしんどくなるいじりの条件もはっきりしています。一方的であること。そして、言われて嫌なことを言ってしまっていること。この二つが重なったとき、合意がないまま片方だけが踏み込んでいる状態になる。同じ言葉でも、くだりの上に乗っているかどうかで、まったく別のものになってしまうんです。
つらいいじりは、受け流さなくていい
ここまでいじられる側を肯定的に書いてきましたが、ひとつだけ言っておきたいことがあります。
それは、いじられて本当につらいときは、我慢する必要はないということ。場を和ませる役割が尊いのは間違いない。けれどそれは、「自分が傷ついてでも笑いを取らなきゃいけない」という意味では決してありません。
差し出せる人が素敵なのは、自分の意思で差し出しているから。望んでいないのに踏み込まれて、笑顔を作らされているなら、それはもういじりではなく、ただ嫌なことをされているだけです。線を引いていいし、引ける関係こそ健全。
マイペース仙人(BRCS)のように、いじられても自分のペースを崩さず、ふわっとかわしてしまうタイプもいます。受け止めるのも、受け流すのも、どちらも立派な選択。むしろ、かわす技術を持っている人ほど、安心して場に身を置けているのかもしれません。
ただ、正直に書いておくと、僕自身がその場で線を引けたことはほとんどありません。止めれば空気が悪くなるのが分かってしまうので、結局は受け流すほうに倒れる。「それはやめて」のひと言は、こうして書くと簡単そうなのに、実際のテーブルではかなり難しいんですよね。
だから僕は、いじりは諸刃の剣だと思っています。合意の上で決まれば場をいちばん温める手なのに、合意がないまま振られたら、受けた側は黙って飲み込むしかなくなる場面が現実にはある。受ける側に我慢を求めるより、振る側が線を見誤らないでいるほうが、ずっと確実なんです。
行ったり来たりできるのが、いちばん強い
友達といるとき、自分はいじる側にいることが多いか、それともいじられて場を温めている側か。たぶん、はっきり片方だけという人は少なくて、相手や場面によって自然と行ったり来たりしているはずです。
それでも、無意識に居心地よく収まってしまうポジションは、きっとあります。いつの間にか突っ込み役になっていたり、気づけば毎回ネタにされていたり。今、頭にひとつふたつ、顔が浮かんだ人もいるはず。
その顔のなかに、たぶんあなた自身もいます。場の温度を上げているのは派手に笑わせる人だけじゃなくて、差し出してくれる人と、それを受け取る人の、両方なんですよね。自分がそのどちら寄りなのか——気になったら、診断でのぞいてみてください。いじられキャラの、案外したたかな一面が見えてくるかもしれません。

